もう15年服を作っている。
思うがままに作ってきた気がする。
服作りが何を意味するのか、
これをどうするのかも考えずに。
この年月過ごしてやっと、考えるようになってきた。
遅い?そうかもしれない。
でも、15年やってきたからわかる事もある。
服を作る事。
作れば何でも出来る。
わざわざショッピングに出かける必要もない。
でも、何を作るのか。
ショップに掛けられた服の数だけの制限がないから、
作るものを決めるのは無限の選択肢がある。
さっき考えるようになった、というのは、
このこと。
何を作るのか。
当たり前に聞こえるかもしれないけれど、
そろそろ、なんとなく作るのはヤメだ。
デザインは、ベーシックなものの組み合わせであることが多い。
バランスをとる為に、一箇所だけをデフォルメして、
他の部分はベーシックに。
そんな作り方が好きだし、
一番まとまりが良いと思っている。
素材の使い方や、色使いにしてもそう。
こういうと、
デザインの仕方という話になってしまうけれど、
作る上でもっと大事な事があるように思えてならない。
最近思うのは、
完成度。
これも当たり前でしょ、と思うかもしれない。
15年やってきて、
完成度に対しての目が人それぞれ大分違う事が分かってきた。
縫製の面でも、
外注さんにお願いした事もあるが、
なんじゃー、このよれよれのステッチはー。
とか、なんじゃー、この生地のゆがみはー。とか。
これで完成なの??
と泣きを見た事がなんどもあった。
パターンにしても、
大分修正をいれてもらって、無理を言った事もある。
作るのならば、作り込みたいのだ。
この程度で標準、というそのレベルが皆違うようだけれど、
それを常に超えようとしてこそ
わざわざ作るという意味がうまれてくる。
それが、
お客様のオーダーであろうと、自身の作品であろうと。
そうじゃなかったら、
作る意味はないし、ましてや売ろうなんて思ってはいけないと思う。
大量生産にお任せしておけば良い。
その完成度から考えると、
おのずと選ぶ生地も、デザインも変わってくる。
作っている最中に
こう縫ったら綺麗にできる、とか、途中のアイロンは必須とか。
それは必要だけれど、
でも、完成した時にあれれー。なんて事がないだろうか。
作っている最中に完成度を考えるのではなくて、
思った完成度を表現できる為の要素を集める事から始まる。
<<またね。